僕は田舎でひきこもっていた。過疎地の田舎でひきこもるなど、究極のひきこもりだと思う。コンビニさえ、歩いて1時間かかるのだから。
ひきこもりにも様々なケースがあるとはいえ、僕は田舎にひきこもっていることを悲観しかしていなかった。祖父がよかれと趣味程度の家庭菜園の畑を耕すのを手伝わせたことがあるのだが、畑を耕しながら「あの山の向こうには人がいるんだろうな」などと絶望していたのを覚えている。
そんな状況から放送大学で勉強することになり、無事に卒業すると、大学院へ片道1時間かけて車で通うようになるまでの道のりは、喜びに満ちたものだった(もっとも、大学院で実習をドロップアウトしてしまうのだが)。
人がいないから、若者のコミュニティなど存在しない。だから同世代の人と関わる機会がそもそもなかった。ひきこもりだからと障碍者支援施設へ行っても、どこから集めてきたのか助成金目当てに大勢の知的障碍者を囲っているような団体ばかりだった。話が合うわけもない。
悲観しきっていたころ、ひきこもりの支援施設が隣の市にできたと聞いた。そこへ片道1時間かけて通い続けた。同世代の人がいて、しかも会話が弾む人も大勢いた。
現在は僕の頃よりひきこもりの福祉も改善していると思われるが、それ以前のひきこもりの人のことを思うと、同情してしまう。
さて、学生になって勉強はした。少なくとも実践に役立つ最低限の勉強はした。それをもとにアルバイトをしようとしたものの、そんな仕事はなかった。正確には、修了しなければ就けれない、フルタイムの仕事がわずかにあるばかりだった。
田舎は仕事を探すのも一苦労だ。