心理学・福祉についての記事も書いてみる(それが本業だし)

臨床心理学や福祉についての記事もかいてみることにした。

そもそも僕は心理臨床系大学院に在籍していて、資格こそ取れなかったものの、基礎的な座学はある程度受けた。学部レベルの心理学なら十分身についていると思う。

ひきこもり支援をしてみたいとずっと思っている。ツイッターにもいくらか書いたが、いろいろ福祉支援については思うところがある。

これまでもひきこもり支援の任意団体でボランティアしていたことがあるが、持ち出しばかりで運営できなくなってしまった。

ある程度の収益のことも考えなければいけないが、悪徳業者のようなのは大嫌いだし、正攻法をいこうにも、勉強はしているものの資格はない。それにひきこもりに限らず障碍者支援の正攻法についてもいろいろ思うところがある。

できればオンラインで広域支援がしたい(在宅ワークがしたいというのもあるが、居場所の設置だけで固定費がかかりすぎる等の理由もある。オンライン支援なら固定費が少なくて済むという本音)。

小説を書きたいという気持ちもあるが、お金にならなければやる気も出ない。ひきこもり支援を行ってそこの利用者が読んでくれればうれしいかな(結構本音だったり)

支援などというとおこがましいが、要はモラトリアムを過ごせる場と時間を提供することが目標になるのではないかと思っている。

「ひきこもりは実存問題だ!」というテーゼを今まで論文や書籍を読んできて感じている。もっといえば、ひきこもりに限らず、障碍者などの苦しみも、実存問題の側面があると言えると思う。いくら障害がよくなっても、幸せにならなければ意味がない。

例えば、障害がよくなって就労し、自立できたとする。でも、その仕事がその人が納得のいかない仕事だった場合、その人は本当に幸せだろうか。

人の幸せを論じるのはあまりにもおこがましいが、心の問題を考えるとき、幸せについても言及しなければならないと思う。極端な例でいえば、自殺という選択肢を選ぶ人がいて、その人はその人なりの幸せだとその人が主張する場合、「はいそうですか」とはいかないはずである。それを禁止するのは周りの「その人が自殺を選択するのは幸せではないからだ」あるいは「自殺という選択肢しかなかったから選ばざるを得なかった」という主観の推測であったり、周りの人が悲しむから、という理由だったりする。

ヤンデレ好きな者としては心中モノの小説とかいろいろ読んでるし、そういう幸せとかもあるのではないかと思うが、結局のところ、社会は一定の幸せを想定していて、QOLなどと数値化し測定までしている。

自立支援も社会からの要請という側面もあるし、定着支援を行う人も職業選択の自由を奪うことになることと表裏一体であるリスクを本当に考えているかというとちょっと怪しい。本来なら支援なしに、転職も自由にでき、社会の中で生きていけるようになるのが目標であると思うのだが……。

僕は幸せはその人自身にしか決められないと思う。ただ、実存問題を解決した答えが本当の幸せだと定義している。それは、その人がその人自身のすべてをかけて出した答えであると、あいまいな言い方だが定義する。そこには様々な人との交流、様々な向社会的なことを試みたり、遊んだり、勉強したり、そんな、いわゆるモラトリアムを通して得られるものなのではないかと思う。

実存問題を完全に解決することは不可能だろう。人間存在である以上、かならず付きまとう問題だからだ。だが、悩んだり解決に近づいたりの繰り返しなのではないか、そして「一部の」ひきこもりや障碍者はその「一定の解決」に触れることができずに遷延化した青年期を生きているのではないか?

ひきこもりの悩みについて実存問題の色が強かった時代もあれば、また別の特色の強い時代もある。現代は発達障害の生きづらさが関係しているのだろうか。参考にした資料が少し古かったので、前時代的なことを言っているかもしれないが、実存問題を解決したり、悩んだりを繰り返しているということは人間に普遍的なことだと思われる。居場所支援など、現代の主流の支援を考えても、「実存」は一つのキーワードになると思われる。

実存問題が一定の解決を得て、「まあ、お金を得るだけなら、この仕事でいいか。趣味は別でやればいい」と思うのと、ただ、自立して就労するという目標を設定し、「自分は障害者だからこんな仕事しかできない」と思うのとでは大きな違いだと思う。

キャリアコンサルティングなどでも若干実存問題にも触れるし、そういうことを考えながら支援を行ってこられている支援者の方も多くおられると思う。ただ、そういう良心的な支援者に巡り合えるかどうかは、住んでいる地域、支援施設で誰が担当になるかなど、運の要素も多くある。支援者も良かれと思って就労を促して、就労につながったとして、それが利用者の妥協の産物であったり、周囲の圧力に屈した形での就労であれば、とても悲しいことだと思う。人によっては無意識的に思っていることと違うことを発言してしまい、あれよあれよという間に就職し、納得のいかない就労に結び付く人もいるかもしれない。就労支援は有効に作用すると思うが、その前段階の支援が十分に必要だと思う。何がしたいか、どんな価値を大切にしたいか考える。あるいは、考え方、志向を検討し直すような体験をするか。

もし、何らかの福祉支援を僕がするのであれば、実存問題を念頭に置きながら、オンラインを活用した広域支援で行えないかと考えている。

実存問題の支援であれば、既存の医療支援とも競合しない、自立支援を批判してきたが、自立支援にも就労につながるという大きなメリットがある。実存問題の支援であれば、それらをそれとして利用することにも競合しない。だから、実存的な支援を行いたい……

……考えているだけで、アイディアが思いつかないのだが。以前やっていたような居場所支援が有効だと思うのだが、オンラインではどういう形になるのか想像できないし……